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それから裸で空を飛べ

淡々と記録と記憶とメモ。社会人27歳。迷子。

人生のタスクリスト(随時更新)

リスト

2017/1/22更新

下記バケツリストは随時追加削除を行いながら公開します。

気軽にできそうなものから、世界征服レベルで大それたものまで。

妄想するのはタダなのである。

 

□痩せる

□本&映像鑑賞リストを1000まで埋める

□手品が出来るようになる

□オペラを見に行く

□どこかのステージで歌を歌う

□絵を楽しく描く

□着物で外出できる

□ベランダ菜園にチャレンジする

□販売士の資格をとる

日商簿記の資格を取る

色彩検定受ける?

 

日本茶インストラクターをとる

TOEICで700点を取る

□ドイツ語を学ぶ

□中国語を学ぶ

エスペラント語を学ぶ

□経済学の基礎を学ぶ

□着付けを学ぶ

□社交マナーを学ぶ

□憧れのO氏と仕事をする

□映画ビジネスを学ぶ

 

□映像作品を1作撮る

□小説を書く

□本を出版する

□ビジネス留学する

□ハリウッド映画のプロデュースをする

□某執事喫茶に帰宅する

レスリー・ニールセンの墓参り

都道府県全制覇する(旅行目的のみカウント)

□ピラミッドを見る

□ゾウにのる

 

□馬にのる

□猛獣に触る

青春18きっぷの旅をする

東海道を歩いて旅をする

□遍路の旅をする

□ブログを始める

MBAを取る

□シンデレラ城に泊まる

ピクサー社屋に入る

□マッシモ・ボットゥーラの料理を食べる

 

□空を飛ぶ

ホノルルマラソンを完走する

□ブロードウェイ三昧する

□NYの夏の演劇祭り?に行く

□100万貯める

□株で100万稼ぐ

□家を買う(大型犬可)

初めての投稿は垂れ流すことにして

雑記

 

 

 

 

文章を、書きたいな。と思った。

 

ちゃらんぽらんの頭はどんどんからまっていく。

そして私はいま、からっぽなりに破裂しそうになっている。

 

(ブログを始める前に、すこしはきだしておこうと思う。

このブログは、はきだしと記録と自分を励ますために作ったことをさきに記しておく)

 

 

元来努力をせず生きてきた。

 

楽しい科目だけ勉強した中学受験は運よく12月に決めてしまい、私立の中学に行ってしまったし、それゆえ高校受験はしなくて済んだ。内部進学に必要なテストを受けなくてはいけない成績のボーダーというのがあって、それが決まる短期間だけ、そこそこに勉強した。無事に無試験で進学した。

 

まわりは、努力をしていたのだと思う。

 

進学校だった。特進クラスなんてものは存在しない、そんな進学校だった。

 

わたしは、大きくずるずるとおちぶれることはなかったが、中の下ぐらいの成績に収まった。勉強しない割には、そこそこの成績だと認識していた。実際はどうだかわからないけど。宿題はたいてい持ってこなかった。のらりくらりと事なきをえた。

忘れ物が病的にひどかったから、教科書を持って帰るのをやめるか、カバンから出すのをやめた。そして、体操服を忘れた。

 

高校時代はブログというものが(個人的印象ではあるが)今よりずっと盛り上がっていた気がする。当時17歳そこそこだったわたしは、学校へ1時間強かけて学校へ通っていた。そして、その1時間をほぼほぼ文章を携帯電話に打ち込むことに使っていた。何を書いた、なにを書きたくて、なにを書いてきたのか、まるで記憶がないのだが、毎日何千字と打っていたわりには、書きたいことはたくさんあって、ネタ探しということもあまりしてこなかった…という記憶だけがある。

 

わたしは努力の仕方もわからないまま、携帯電話に文字を打ち込んでいた。

ヤリタイことはあった、のだと思う。他人に認められたいという感情は今思えば人一倍強かった。逆にいえば、人に認めてもらえなかったら、自分が消えるのではと思うくらいそれに敏感だった。

 

そのくせ努力はしなかった。

 

いや、もしかするとしていたのかもしれない。

ただ、わたしにはその記憶がない。

同時に学生時代の記憶もあまりない。

都合の悪いことを抹消したら、すべて消えてしまったのかもしれない。

 

志望校の志望学部は、高校1年の時になくなることが決まった。

ただ、漠然と演劇専攻にすすみたいなと思っていたころだった。

子供のころは、祖父が医者だからわたしも医者になりたい。カッコいい。とおもったり、探検家になりたかったり、盲導犬の訓練士になりたがったりした。

 

いつのまにか、演劇専攻にすり替わっていた。

映画と芝居は好きだった。

ただ、全然詳しくなかった。

もしかするとこれも、自己顕示欲の一つだったのかもしれない。

他人に頼られたりされたくて仕方なかった。一種の病的な。

わたしは、面白いものを作れるんだぞと。

そして逃避の一つだったのかもしれない。

むかしから、物語の中にいれば私は万全だった。

 

喜劇が好きだった。

レスリー・ニールセンみたいになりたかった。

くわしくはないけど、好きだった。

 

結局2年浪人した。

高校時代の貯金か、そこそこのセンターの点数で、夜間大学に入学した。

大学にはそこそこ出席した。卒業までに5年かかった。

 

1年目はお笑いサークルに所属した。

ネタ合わせから全力で逃げた。できないことを認めたくなかったからだ。

デビュー戦はそこそこ受けた。その次でダダすべりした。

逃げるようにやめた。先輩からいじられるのも苦手だった。

 

2年目からは創作サークルに居た。

なにも作らなかった。

文芸の授業で小説を1本書いたぐらいだった。

教授が選ぶ4作に選ばれた。うれしかった。これだけは覚えている。

ただ、それだけしか創らなかった。

創りたいものは2時間ぐらいで消えていく。

熱意もふわっと消えていった。

居心地はすごくよかった。ほとんどの友人は他人の痛みにひどく敏感だった。

 

日中は仕事をしていた。アルバイトだったが、すこし特殊な仕事で、現場を回すのが楽しかった。わたしでなければダメなものがそこに一瞬でもある気がしたからだ。正直今思えば、それが私でなくては駄目だったのかと言われると今では自信がない。たぶん私でなくてもよかった。

 

当時、初めて努力をそこそこした。それは形に現れるものだったからだ。

そしてどうしても認めてほしい人がいたからかもしれない。

自分には向いていた、のだと思う。今思えば。忙しいことはいいことだった。そのころから、じぶんがひどくからっぽな気がし始めていた。

 

はて、卒業が見えてきた時に、改めて映画の仕事がしたいと思った。

もう、自分で何かを作る仕事はあきらめかけていた。

創るには努力という才能が必要だと知ったからだ。わたしの内面からは作りたいものはふわりふわりと消えてしまって持続しない。なかには何もつまってないのだ。

なぜ、他人があんなにも熱意をもって生きていけるのかわからなかった。

でも、あこがれは消えなかった。

 

他人の創る物語が好きだった。

たとえ終わった後、現実にもどるとしても。

 

春に、新卒で大手の映画会社を何社か受けた。

何社かは、書類さえかけずに締切に間に合わなかった。

第一志望は、志望理由さえ言えなくて受からなかった。

 

わたしは、すぐにアルバイト先に戻っていった。

本当に特殊なバイトだったのかもしれない。

 

誰かが感動する場面を見た。わたしの用意した小さな演出で誰かが心を動かしてくれた。

ここにいれば、山のように押し寄せてくる仕事に忙殺されて、自分の憂鬱な部分を見なくて済むし、だれかが褒め続けてくれるから。

 

他人は「すごいね」と言ってくれる。

夜間大学にいって、授業料払ってるんだって?と

 

支部のただのアルバイトの1人だったが、わたしは事故のないことで、技術のある人間として全国でもそこそこ有名になっていた。5年もいれば当然なのではと思うのだが、わたしは満たされたような気がしていた。ここに居れば、私は自分に自信を持っていられるのだ。たとえ辛いことが多くとも。

 

ちなみに繁忙期に得た月収30万はいまどこにも残っていない。

何に使ったのかわからないが消えていった。

実際には学費も払える貯金がなくて、某キャッシングで金を借りた。

親には頑張り屋の姿を見せたかった。否、完璧にやっている演出をしたかった。

わたしは、駄目じゃないと思っていたかった。

 

ようやく大学を卒業することになって仕事を辞めることにした。

からだを壊した。片耳の聞こえが悪い。微熱が下がらない。めまいがする。何もないところで自転車で転んだ。「辞めよう」と思った。

 

2度目の4年生で卒論を書いた。

滑稽と妖怪について大学では研究した。楽しかった。

 

だが、書き上げる努力が出来なかった。メモを文書に出来ない。

締切12時間前にようやく書き始めた。書き終わらなくてそのうち1章は存在を抹消した。

15分前に滑り込みで提出した。5年の集大成がこんなものになってしまった自分に吐き気がして、その後返却時にとりにいかなかった。翌年、優秀論文として帰ってきた。途中で混じってごちゃごちゃになったのか、それとも本当にそうなったのかはわからないが、うれしさと悔しさが混ざった。

 

大学にはいったときは大学院まで行くなどと根拠なくいっていたが、やめた。

金がないし、そのあとの人生を見るのが怖かった。

 

飽きたら?

この集中力が今回の卒業論文みたいに、論文作成まで持続しなかったら?

 

現代文学の授業で才能がないような気がした。自分の意見には自信がない。他人を自分の意見をまとめるために壁打ちに使ってしまう癖があることも最近知った。適当なことをいっては、いろんな人に矛盾を指摘されることに耐えられるほど強くなかった。自己顕示欲の塊なのだ。間違いが認められない。そのくせすぐごめんなさいと言う。

 

こういう時だけ踏み出せないでいる。

自分が努力の仕方を知らないまま大人になってしまった気がしていたのでなお怖かった。

 

あこがれていた人は私が退職するタイミングで異動になった。付いていくのもやめた。

違う世界で頑張ってみたいと思った。今思えば、間違いではなかったけれど、それが正解だったのかはわからない。その人とはその後2回ぐらい(先輩の結婚式等で)会った。執着心はだいぶ薄れた。連絡は取っていない。

 

2月に2週間程就職活動をして、受かった会社の中から決めた。

その時には、「自分には長期のモチベーション維持は向いていない」ということがわかり始めていたし、3年ほど勤めて、再度チャレンジしようと思い始めていたからだ。そのころには夢に取りつかれたようになっていた。3年、社会人経験3年積んだら、なにかが変わる気がしていた。

 

結局、条件が合った中で「上司になりそうな人となんだか上手くやれそうな気がする」「楽しそう」というだけの理由で、絶対に就職するもんかと思っていた某業界の商品管理部門に採用された。

 

シフト制

正社員

知らない人と会話しなくていい

 

という3点と、残業が少なそうなのでもう一度学校に通いたくなったときに調整が聞くかもしれないと思ったので。そして、3年でやめようと思っていたから。

努力していない分、諦めも悪い。3年後もう一回どうするか考えようとおもったから。

 

26歳になる年に。

ようやく社会人になった。

 

入社初日に肩書が「営業」になった。

営業の手伝いを…と聞いていたので、くそくらえと思った。

給料は18万。残業代なし。

特になにも技能もないからこんなもんかと思った。

……営業なのにノルマはなかったし、週5で事務所にずっといた。来るものをさばくだけの営業だった。短期店舗が出来れば数日~数週間だけ店頭に立つ。ただ、そこに居た。

 

初年度は何をしたのかほぼ記憶がない。何を身に着けたのかも。何ができるようになったのかも。本当にただ、居ただけなんだとおもう。

 

上司はいい人だった。やさしかった。

でも何をしたらいいか、まるで見えなかった。

 

努力のしかたもしらないまま、行先もわからなくなったので、ただ私はそこに居た。

 

しばらくして、違和感が出てきた。

わたしが出ていくとでしゃばったみたいな空気が流れる。

コミュニケーションが得意だと思っていたが、そうじゃなかったらしい。つい余計なことをいってしまう。しったかぶりとも言われた。確かに知識は書籍とネットだった。早く追いつきたくててっとり早く仕入れた知識は、逆に壁を作った。うまく使うことも、伝える方法も模索した。いまだによくわかっていないが、口をつぐむことにした。

 

今は、3回に1回ぐらい成功する。

2回は失敗する。

 

1年目は会話もうまくできなかった。

言語が違うひとと喋ってるようだった。それはあっちもそうだったのかもしれない。たまに返ってくる言葉はとげがあるような気がしたし、特に聞き返しただけなのに強く返されたような気がして萎縮した。

 

わたしは、その状況を「生理」と名付けた。

どうしていいかわからなかったし、原因もわからなかったからだ。

時期を過ぎれば大丈夫だった。「生理」が過ぎたらやり直せば、少々のやけどで済む。

もしかすると私が原因だったのかもしれない。

 

同期は一人で仕事をしているように見えた。

偉い人には満足のいかない仕事で、しょっちゅうそんな話を耳にしていたが、

ただそこに居たわたしにしてみたら、ただただうらやましかった。

そして私はから回った。ただそこにいてから回る、タンバリンを打ち続けるサルのおもちゃみたいだった。自分が以前の仕事を始めた時、なにをしたのかすら思い出せなかった。

 

2人いた同期は順番にやめていった。

同期のつながりもないようなものだったが、いつの間にか1人になった。

 

こんなはずじゃなかったのに。と思った。

私はもっとばりばり仕事して、どんどん忙しくして…。

その時初めて気が付いた。仕事で認めてもらえなかったら、私はほかにどんなものさしで自分をはかればいいのだろう。わたしはひどくからっぽだった。なにもないのだ。

そして、自分がどこに走っていきたいのかわからなかった。ただ本当にそこに「居た」だけになってしまった。

 

2年目、先輩がごっそりやめた。

中途採用で何人か入ってきた。

いちばんできない私が、平社員で最下層なのに一番の古株になった。

わたしは、より一層空回りした。ただ、認められたかった。追い越されて、わたしはまた今年もここに「居る」だけの人間になってしまう。

 

同期と上司がやっていた、それぞれの「やりたくて私が結果空回りしかけていた仕事」はそのうちの1人が持って行った。新卒2年目、ただそこに居ただけのわたしと、30間近でキャリアのあるであろう彼女のどちらに任せるかという愚問にも近い問いであったのに、わたしはわかりやすく腐った。

 

わたしは、また、居るだけの人になった。

なにも進んでいない気がする。最近は仕事もあまり手につかなくなった。

 

あれだけ好きだったはずの本もあまり読めなくなった。

映画は、映画館に行けば強制的に2時間見なくてはならないので、つなぎとめるにはいい方法だった。月に1回か2回ぐらいしか行けなかったけど、からっぽじゃないように見せるにはそれが最適だった。

 

年上の後輩(そして社会人の先輩)はすごくいい人だった。嫌いじゃなかった。

でもひどく怖く思う時があった。これは今でもある。椅子取りゲームをしているようなそんな気持ち。

 

 

私がから回っていることは、上司も気が付いた。

優しく諭された。でも、うまく対処できなかった。

最近は、話しかけられることすら怖くなってきている。

 

そして就職してから、2年がたつ。

そして、わたしはどんどん駄目になっている。

 

実はブログをやりたいと手帳に書いてあった。

2年も前から。

 

毎年、自分の中のやりたいことを更新している。

「バケツリスト」と言うらしいことは最近知った。

 

自分が腐り落ちていくなかで、

改めて文章が書きたいと思った。

 

文章の題材は

やりたいことをやった記録をつけることにした。

 

未来の自分がどんどんしんどくなった時に、からっぽだった自分にこれだけの粒をつめてやったんだと告げるために。わたしはそこに「居た」だけの人間にならないために、あがいてはいるんだよと自分に言い聞かせるために。

 

この虚無感が、うまく言葉に表せない自分の語彙力のなさに絶望している。

この虚無感が、果たしてほかの人にも訪れるものなのかも私にはわからない。

 

大したバケツリストではない。

人生におけるタスクリストみたいなものだ。

 

メモ代わりに更新する。

ので、ぜひのぞき見ていただければと思う。

 

 

2017/1/22 00:34(推敲もせずにあげてみる)